ずっと気になっている古代日本の土地制度や仏教の関係に関して、たまたま良い本に出合いました。

吉川弘文館から出版された金田章裕著「古地図からみた古代日本」です。
以前から仏教というか宗教が社会に与える影響について考えています。
一つ役割として救済があると思います。
人生を生きる上で苦しみや悲しみにぶち当たったときの指針や救いを示すといった具合です。
それは理にかなっているし重要な役割だと思うのですが、そういった有益な役目以外の立ち位置のが強いような気がしているんです。
奈良時代以前の仏教伝来の初期の時代からそれ以降、日本の中で宗教と言えばやはり仏教が一番だと思います。
ただ現代社会にも言えるのですが、宗教は人々の役に立つというより逆に人々を苦しめたり、ただの利権構造を作り上げたりしている場合がかなり多いんじゃないかと感じます。
今回の本にもそのよい例が載っていました。
越前国足羽郡道守村(墾田)
天平神護2年(西暦766年)当時、東大寺は越前国足羽郡道守村(現在の福井市)に大きな墾田つまり、田んぼを持っていました。

その東大寺領の墾田の東隣は田辺来女という女性の所有する墾田になっていて、その総面積は四六町以上に及びました。どれくらいか想像できないんですかなり広いらしいです。
奈良時代に女性が広ーい田んぼを所有できたのはなぜでしょうか。大いなる疑問ですよね。
田辺来女とは
田辺来女は右京(平城京)四条一坊の戸主従七位上の上毛野公奧麻呂の戸口として記された人物であり、奥麻呂の妻であった可能性が高いそうです。
彼女が越前国足羽郡に広大な墾田を持つことができたのは、旦那の奥麻呂の赴任先がカギで、彼は、天平宝字元年(757年)や同3年(759年)に越前国の末席の国司として名を連ねていたらしいのです。
上毛野公奧麻呂の手口
上毛野公奥麻呂は、国司在任中に懸田の開発を進めました。これは仕事でもあります。国司は税の一部である雑儒、つまり労役を使用して各種の工事を進めるのが公務の一つだったんです。
開墾もまた 公務の内に含ませることができたのですが、国司在任中に雑徭を使って得た墾田は、離任の際に国に返還するのが規定であった。この規定の網から逃れる手段として家族の名義にする、という近年でもありそうな手段を講じのではないかとのことです。
つまり公務として開発した田んぼを自分の奥さん名義にして保有し、自分が転勤しても国に返還しなくていいように策を取ったというわけですね。
こういう官僚の腐敗というか利権にしがみつく姿勢はすでに奈良時代からあるのですね。まだ律令に基づいて国づくりをして50年経つかどうかという時期ですよ。。。
藤原仲麻呂の乱
越前国というのは藤原仲麻呂の子供たちが牛耳っていた地域でした。
西暦764年10月14日藤原仲麻呂の乱が勃発します。仲麻呂は失脚しその子孫や関係者は死刑や島流しなどかなり多くの人々が処罰されました。
そんな中、上毛野公奥麻呂も連座したようで、妻である田辺来女の墾田も没官田の扱い、つまり国に没収されてしまったんです。
没収されてしまった墾田・田んぼはどうなったんでしょう。
東大寺の言い分
そこで、隣接して道守荘を経営していた東大寺は、この機に田辺来女の墾田を手に入れようとしました。
その理由は「地形が一まとまりであり、同じ用水施設を利用している」というのが 最大の理由ということです。
一方、越前国は、「田辺来女等、寺地を治開し、己が墾田となす。 罪人支党たるにより没官さる。これ実に寺家占める所の堺の内、すなわち寺田に改め正す」と言って、 田辺来女の墾田が東大寺領の四至内にも及んでいたという理由を付けて、東大寺領へ編入しておしまいになったようです。
官僚が自分の妻名義で田んぼを横取りするのもおかしいですが、その田んぼを「隣にあるし同じ用水路をつかってるから」という理由で奪い取る東大寺はもっとおかしいと感じます。

東大寺の言い分はおかしいけど寺の土地になれば国のものになったも同然だからいいか。

これからも全国中の墾田を手に入れたいなあ

官僚の腐敗もすごいが、お寺もすごい。仏教が伝来して200年程。聖武天皇が目指した仏教に基づいた国家の建設というのは、仏教を利用した利権獲得体制の構築なのかと素朴な疑問をかんじるのは、わたしだけかニャ・・・・




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