日本の中世から近世にかけて発展した為替システムは、現代金融制度の原型となる高度な決済メカニズムを形成していた。年貢米や商品取引に伴う現金輸送のリスクを回避するために発達したこのシステムは、紙幣に近い機能を持つ「割符」や「手形」を媒体とし、複雑な信用ネットワークによって支えられていた[1][3][4]。本報告では、為替媒体の物理的形態と信用維持システムの実態を、中世と江戸時代の比較を通して解明する。

中世為替システムの形成過程
割符の物理的形態と基本構造
中世の為替媒体「割符」は、和紙に墨書された文書形態を採用していた。現存する文安元年(1444年)の「新見荘東寺年貢割符」によれば、縦30cm×横20cm程度の大判用紙に以下の要素が明記されていた[1][5]:
– 振出人(年貢納入者)の氏名と花押
– 受取人(荘園領主)の指定
– 金額(貫文単位)と支払期限
– 割符発行業者(割符屋)の連署
– 裏書による譲渡記録
材質には楮紙が用いられ、偽造防止のため複数枚の用紙に分割する「割り符」方式を採用した例も確認されている[3]。特に年貢銭の送金に用いられる場合、現物の米や銭と併行して割符が流通する「並行輸送システム」が採用され、現物到着後に割符が回収される二重チェック機構が機能していた[1]。
為替仲介業者のネットワーク構築
割符の信用性を担保したのは、全国に展開した割符屋(替銭屋)の相互連携システムである。文永年間(1264-1275年)の記録によれば、博多・鎌倉・京都の主要都市に本店を置く替銭業者が、地方支店との間で「替銭定書」を交換し、手形決済のルールを確立していた[5]。具体例として、甲斐国の武士が年貢銭を京都へ送金する場合:
1. 甲斐の割符屋Aに現金を預託
2. 割符屋Aが発行した手形を京都の割符屋Bに送付
3. 割符屋Bが手形記載額を現地通貨で支払い
4. 割符屋AとBが年1回の清算会(算合)で貸借を相殺
このシステムは、為替手数料(「夫賃」)として額面の1割を徴収することで持続可能性を確保していた[1]。業者間の信用管理は、寺院や有力武家が発行する「推薦状」によって担保され、違反業者はネットワークから排除される制裁措置が存在した[3]。
江戸時代における制度の高度化
江戸期に入ると、大坂を中心に両替商が為替業務を専門化させた。元禄年間(1688-1704年)の「大坂両替仲間記録」によれば、標準化された手形様式が確立され:
– 振出人・引受人・支払人の3者情報を明記
– 金銀建てで金額を二重記載(漢数字と合い字)
– 裏書欄に3名以上の保証人署名を要求
– 手形用紙に特製の透かし入り紙を採用
といった偽造防止策が講じられた[4]。特に注目すべきは、寛文年間(1661-1673年)に開発された「墨流し染め」技術で、職人固有の模様を漉き込んだ用紙が高額手形に使用されていた[2]。
決済システムの多重化
江戸後期の為替システムは、次の3層構造で信用リスクを分散させていた[4]:
1. 町人手形:小額取引用の地域内決済手形
– 発行額:1-10両
– 有効期間:30日
– 保証人2名以上必要
2. 掛屋手形:大名貸付用の広域決済手形
– 発行額:100-1,000両
– 裏書譲渡可能
– 大坂・江戸の両替商連署必須
3. 公儀手形:幕府財政関連の特別手形
– 金座・銀座の極印押捺
– 無期限・無利子
– 偽造者には死刑適用
この階層化により、取引規模に応じた適切な信用管理が可能となった。安永年間(1772-1781年)の記録では、大坂・江戸間で年間200万両を超える為替取引が行われていたことが確認される[4]。
信用維持メカニズムの進化
中世の実物担保システム
南北朝時代の為替契約書(「替銭契状」)には、以下の担保条項が含まれていた[5]:
– 動産担保:馬・武具・絹製品の差し入れ
– 人的担保:一族郎党の連帯責任
– 土地担保:畠・屋敷の書入(抵当権設定)
特に興味深いのは、建武2年(1335年)の阿波国での事例で、割符不渡りが発生した場合に「替銭屋の看板を引き渡す」ことが契約条件に含まれていた[3]。これは商業信用が物理的象徴によって具現化されていたことを示す。
近世の制度的担保
江戸時代には、以下の法的整備が進展した[2][4]:
1. 手形法規の整備:
– 貞享3年(1686年)「手形仕法」発布
– 手形不渡り3回で営業停止
– 手形偽造罪を死罪に規定
2. 両替商組合の自己規制:
– 正徳3年(1713年)「十人両替」制度発足
– 加盟店の資本金500両以上を義務化
– 共同保証基金(潰れ共)を積立
3. 公的検証システム:
– 明和元年(1764年)「手形鑑定人」制度創設
– 鑑定人の年2回技能審査を実施
– 偽手形鑑定に成功すれば褒賞金支給
文化年間(1804-1818年)の記録によれば、江戸・大坂・京都の主要両替商は、手形鑑定のために「筆跡見本帳」と「印形帳」を整備し、職人による微妙な筆跡の差異まで記録していた[2]。
技術的防偽システムの展開
物理的偽造防止策
為替媒体の本物性を保証するため、各時代で独特の技術が開発された。中世後期の割符には:
– 料紙に地紋として「◯」と「×」の透かしを交互に配置
– 墨に膠を混入し、改竄時に文字が剥離する加工
– 複数枚の用紙を貼り合わせた「継ぎ紙」構造
といった工夫が確認されている[5]。特に明応年間(1492-1501年)の北陸地方で発行された割符には、和紙の繊維に金箔を散らした「砂子紙」が使用され、高額手形であることが視覚的に認識できるようにされていた[1]。
制度的偽造防止
江戸時代の両替商は、以下の多重チェックシステムを構築していた[4]:
1. 発行時チェック:
– 手形番号の登録(大坂「手形帳」)
– 発行者の筆跡照合
– 極印の照合(金座/銀座発行分)
2. 流通時チェック:
– 裏書者の連帯責任
– 3ヶ月ごとの手形再鑑定
– 破損手形の再発行手続
3. 決済時チェック:
– 支払場所での印鑑照合
– 元帳との突合作業
– 手形の回収・破棄処理
天保年間(1830-1844年)の記録によれば、偽造手形の発見率は0.3%に達し、うち8割が裏書段階で検出されていた[2]。この高い検出率は、流通過程における多重監視システムの有効性を示している。
地域的特性と国際比較
日本為替システムの特質
西洋の為替システムとの比較において、日本システムの特徴は- 寺社や武家権力の関与が希薄
– 商人組合の自律的規制が主導
– 手形の物理的加工技術が高度
– 地域ごとの相場変動を許容
という点が挙げられる。特に注目すべきは、慶長14年(1609年)の長崎貿易で使用された「唐手形」の存在である。これは中国商人向けに発行された銀建て手形で、裏面にオランダ語と漢文の併記が確認されている[2]。国際為替における多言語対応は、日本システムの柔軟性を示す事例と言えよう。
地方都市における展開
仙台藩領内の為替システム(「仙台手形」)は、以下の独自性を有していた[4]:
– 藩庁による手形発行の独占
– 米穀換算率の固定(1両=1石)
– 偽造防止のため伊達家の家紋入り用紙を使用
– 支払期限を収穫期に設定
この地方バリエーションの存在は、為替システムが中央集権的ではなく、地域の経済構造に適応して発展したことを物語る。
結論
中世から江戸時代にかけての為替システムは、単なる金銭輸送の代替手段を超え、複雑な信用管理と技術的工夫を備えた金融インフラとして機能していた。割符や手形の物理的形態は、当時の最高の紙工技術と偽造防止知見を結集した工芸品の様相を呈し、その信用維持メカニズムは現代の金融規制の先駆けとなる高度な制度を包含していた。今後の研究課題としては、現存する為替文書の材料科学的分析を通じ、技術的防偽策の全容解明が期待される。同時に、近世為替システムが明治期の銀行制度に与えた影響の解明は、日本金融史の連続性を理解する上で重要であろう。
引用:
[1] [PDF] 中世の為替制度の石汗究と高校日本史におけるその教材化 https://www.fukutake.or.jp/archive/houkoku/2004/2004_124.pdf
[2] 江戸時代の銀貨は切ったり量ったりして使う?当時の複雑な貨幣 … https://antylink.jp/blog/40624/
[3] 座と為替について https://tsuka-atelier.sakura.ne.jp/theme/za.html
[4] 為替(カワセ)とは? 意味や使い方 – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E7%82%BA%E6%9B%BF-48256
[5] [PDF] 割符のしくみと為替・流通・金融 – 京都大学 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/239901/1/shirin_089_3_374.pdf
[6] 【2025年2月版】海外旅行の事前準備に欠かせない!外貨をお得に … https://media.moneybank.co.jp/how-to-moneyexchange-preparation/
[7] 牙符制 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%99%E7%AC%A6%E5%88%B6
[8] 割符 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E7%AC%A6
[9] 古代ローマ時代から中世にかけて貨幣制度の変遷 https://www.ebc.com/jp/forex/7107.html
[10] [PDF] 近世・近代日本貨幣史の基礎的研究 小林延人 * https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/kinken/mod/cm_201703kinsei.pdf
[11] [PDF] 中世後期・近世初期西ヨーロッパ・ドイツにおける支払決済 … http://www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol4501_02.pdf
[12] 印鑑はんこにまつわるいろいろな基礎知識・豆知識 http://www.85-net.com/iroiroin.html
[13] ニセ札の実態と両替リスク – M changer https://mchanger.jp/fake-note-risk/
[14] 割符(わりふ)と認証 | まるおかディジタル株式会社 https://www.maruoka-digital.jp/blogcontent/0708023214/
[15] 偽使 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E4%BD%BF
[16] 初心者でもわかる!為替のきほん – じぶん銀行 https://www.jibunbank.co.jp/guidance/basic_of_exchange/
[17] [PDF] 日本中世の手形 – 京都大学 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/240318/1/shirin_096_5_615.pdf
[18] 日本の金融の歴史(中世・近世)/ホームメイト – バンクマップ https://www.homemate-research-finance.com/useful/bank_history/index03.php
[19] [PDF] 第 4章貨幣・金融制度の創設 https://www.mof.go.jp/pri/publication/mof_history/1ki_c4.pdf
[20] [PDF] 為替の起源と初期預金銀行 : 国際通貨システムの歴 史と論理(Ⅱ) https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4362574/6603_p131.pdf
[21] 金研設立40周年記念対談:マネーシステムの歴史を語る(第2回 … https://www.imes.boj.or.jp/jp/newsletter/nl202301J2_s2.html
[22] [PDF] 古代の貨幣および中世から近世への移 行に伴う貨 https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk16-2-2.pdf
[23] 【マンガ】メディチ家による国際為替・決済システムの構築 https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/041200230/041200001/
[24] [PDF] 江戸期包金銀について – 日本銀行金融研究所 https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/96-J-03.pdf
[25] 【第5回】江戸時代の決済システム(前編) | 東証マネ部! https://money-bu-jpx.com/news/article026876/
[26] 第4回 江戸時代の貿易:株式会社日立システムズ https://www.hitachi-systems.com/report/specialist/edo/04/
[27] [PDF] 替銭と割符 https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/record/1725/files/20006-46(1)-003.pdf
[28] [PDF] 預り文言の割符の発生過程に関する試論 https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/record/1785/files/KJ00009149020.pdf
[29] [PDF] 近世京都における薬種仲間の研究 – 龍谷大学 https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=TD32055693&elmid=Body&fname=rks-mz-kn002_003.pdf
[30] にせ札を見分けるポイントは何ですか? にせ札かもしれないお札を … https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/money/c17.htm
[31] 情報漏えい対策(情報漏洩対策)|GFI電子割符(R) https://www.gfi.co.jp/vol16.html
[32] 理由あり勘合符:京都古美術探索行 / 真心会社:左富士の殺人シナリオ https://www.22art.net/book/%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%82%E3%82%8A%E5%8B%98%E5%90%88%E7%AC%A6%EF%BC%9A%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8F%A4%E7%BE%8E%E8%A1%93%E6%8E%A2%E7%B4%A2%E8%A1%8C-%E7%9C%9F%E5%BF%83%E4%BC%9A%E7%A4%BE%EF%BC%9A/
[33] 新寛永通寶分類譜【古銭用語の基礎知識】 https://kosenmaru.sub.jp/kannei01.html
[34] [PDF] 米国通貨の豆知識 https://www.uscurrency.gov/sites/default/files/downloadable-materials/files/KnowYourMoney_062014_4.pdf
[35] 【Linux研修】おはじきの記録13 | ITエンジニアへ安心安定を提供する https://alterbo.jp/blog/ohajiki13-2008/
[36] [PDF] 世紀初頭のある替銭文書 −さいくわん替銭証文案−について https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/record/2525/files/%E6%9D%BE%E5%A4%A7%E8%AB%96%E9%9B%8629-3-%E4%BA%95%E4%B8%8A.pdf
[37] [PDF] 廣岡家文書と大同生命文書 – 三井文庫 http://www.mitsui-bunko.or.jp/bunko_data/ronso/mbr-51_hirookake.pdf




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