先日「たてコデ」さん主催の住宅ローンの無料Zoomセミナーに参加しました。
そこで、質問がないかと問われたのですが、全くの初心者である私は、何から質問していいのかがわかりませんでした。
「家がほしい」と感じたときに手に入れるまでのステップがわからないことに気づきました。
そして雑学思考の私は、住宅ローンっていつ始まったんだろうとググってみると、安田善次郎という方が出てきました。
その生涯を読んでみると、かなり波乱に富んでいて面白いのです。本人の本を読んでみたいと国会図書館で探しますと、かなり古い本がいくつもネットで読めるようになっていました。
その中の一つ

から興味深かった一節を紹介します。大正7年というと、本人が79歳で亡くなる3年前の回顧録的な内容です。
商人になった動機

安田善次郎少年が江戸に出て一旗揚げたいと考えたのは16歳の頃。
彼のような身分の低いものは、街中で武士(物頭)に出会ったら、草履を脱いで地べたに伏せて頭を下げなければならず、それが子供ながらに耐えられない。同じ人間なのにおかしいという憤りが少年にはあった。
ある日、大阪の富豪の手代(部下)が善次郎のいる藩(富山県)にやってきた。彼らは藩士(奉行)にお金を貸すために来たのだった。
それを迎える藩士(奉行)たちは、日ごろは善次郎少年ような身分の低い人々の前では大威張りで横柄にふるまうのに、その富豪の部下に対してはペコペコ頭を下げ、城下までわざわざ迎えに行き、旅籠に案内したりとまるで別人のようにふるまっていた。
それを見た善次郎少年は心底驚いた。日頃は横柄で威張っている奉行たちがお金を持っている人には、それが町人であっても頭を下げる。それならば自分も一生懸命働いてお金持ちになろう!と決心したのである。
大志を抱いた少年は江戸に出ようと親に相談するが、親は大反対。そこで善次郎少年は親に黙って江戸に行こうとする。
飛騨の山奥での出来事

親に反対されても自分の気持ちを抑えきれない善次郎少年は、何度も家を飛び出しては連れ戻されたり。当時は江戸時代で、江戸に行くには関所を越えねばならず、関所を超えるため手形がない少年は一計を案じる。
関所を通らないルートを思いつく。それが故郷の富山から飛騨を超えて信州に至るルート。
しかし山越えの道は険しく、暗くなってきたときにはまだ飛騨の山中。あたりに人家なくどうしようかと思案していた時、一軒の家が目の前に。そこで思い切ってその家を訪ねると、老人とその息子が快く一夜の宿を申し出てくれた。
二人は飛騨の山で半猟半農で暮らしを立てている親子だった。
少年は飛騨越えの顛末を正直にその老人に話すと、老人は夕食に米を炊いてくれた。当時、飛騨の山奥の住人の主食は橡(とち)の実の粉とそば粉を混ぜたもので、米を炊くのはお祭りの時ぐらいであった。
そんなおもてなしに善次郎少年は心から深く感激した。
老猟師のはなし
老猟師は善次郎少年のいきさつに耳を傾けていたが、おもむろに口を開いた。

老猟師が言うには、気持ちはよくわかるが、両親の気持ちを考えてほしいと。突然居なくなった息子のことを心配して四方八方を探しているはずだと。

16,17歳の子供が一人で江戸に出るなどというのは親からすれば腸が引きちぎられるほどの思いのはず。いま自分は息子と暮らしているが、息子がどこかへ行ってしまうなどということは思いもつかない。親に心配をかけることは親不孝なんだよ。
善次郎少年は老猟師の話を聞いているうちに、両親のことが懐かしく、申し訳なく思い出されて翌日朝早く、富山への帰路についた。
家につくと案の定、両親は泣きの涙で少年を探して奔走していた。少年は両親に深く詫び、その後19歳になって果たして江戸に出て大成することになったのである。
さて、いかがでしたか?

他にも出世の心得や独立の方法、お金儲けなど面白い内容です。興味のある方は国会図書館のサイトで自由に読めます。
リンク貼っておきますね👇️画像をクリックしてください。





コメント