お隣、多治見市で開催されている展示に土岐市出身の陶器商の紹介があり、非常に興味深く拝見しました!

満留肥(まるひ)商店は肥田村(現土岐市肥田町)出身の加藤徳三郎(慶応2年生)が創業した商店です。徳三郎ははじめ多治見の山久商店で店員として働いたのち、明治25年(1892)に独立し、 同30年(1897) に本町通りで満留肥商店を開店しました。
売り先は北海道から九州まで幅広く、ハワイや奉天(中国)などの海外向けにも販売していました。大正時代末ごろからは外壁用のタイル等建築陶器を中心に、一般食器や輸出用コーヒー碗皿等も販売しました。満留肥商店には、内地部、貿易部、石炭部、直輸出部、建陶(タイル)部、保険部があり、また名古屋市東区に直輸出専門の支店、東京日本橋には出張所がありました。

非常に成功した陶器商だったようで結婚式も盛大だったようです

店での販売は、頻繁に来店する全国の商社から直接注文を取るほか、社員が旅回りで注文をとる方法がありました。昭和2年(1927)の「満留肥商店日誌」によれば、北海道、大分、長崎、広島、神戸、静岡、埼玉などからの来店が1ヶ月に10社ほどあり、数日間滞在して直接注文する記録が残されています。
旅回りでの注文は見本カバンに見本陶磁器を入れて列車で回るもので、北海道、東北、ナなどの遠方へは1ヶ月ほど、山陰・中国地方などへは半月ほどかけて注文を取りに出かけ、集金をしながら回ります。注文を受けると店に電報で知らせました。


陶磁器の配送には藁が大活躍していたそうです。私の家ももとは陶器商だったのでこの荷造りはさみには見覚えがります。

男前の店員さんたち( ´艸`)


昔の帳簿の字は綺麗ですよね。筆で書くから間違えても直しにくし、昔の人はえらいですね。

創業当初の明治時代後半から大正時代にかけては一般陶器の販売が中心で、東北方面から九州まで広く販売をしていましたが、大正時代末期になると建築陶器(タイル、便器などの建築用陶器)を扱うようになりました。仕入れは大正時代に創業した豊岡町の長谷川製陶所(のちの日本タイル工業)、福岡に創業した東洋陶器、瀬戸などからで、大正12年(1923)に起きた関東大震災後の全国的な建築材料への関心もあり、以後の取扱い商品も建築陶器が中心となっていきました。
また、昭和初期にはハワイに住む日系人向けの輸出品の取扱いもあり、その他内地向けには笠原の茶碗や駄知の生け盛り皿、丼、土岐津の煎茶碗、滝呂の皿、市之倉の盃などで、印物の製品、輸出用コーヒー碗皿、陶磁器製標札など上絵付製品も含めた幅広い商品を出荷していました。

これも懐かしい昔の番傘です。私の昔の実家にもありました。
下は別の方ですが、同じく栄えた陶器商で、「陶器商報」という業界紙を発行していたそうです。詳しく見てみたいです。

東濃名家録という書物も展示されていて、詳しく全部見てみたいと思いました。知っている人がいそう。


戦前戦後の町の様子を写した動画も流されていました。そのなかで相撲大会がとても印象的で録画しました。子供も大人も細身ですががっしりとした体格で、今の人たちより健康的です。




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